家電(デバイス)のネット化の夜明け
振り返ってみると、20世紀の頃の私はさまざまなハードウェアの開発に関わっていました。こういうと私がハードウェア技術者のように聞こえるかもしれませんが、私は根っからのソフトウェア技術者です。ただ、当時はまだインターネットが今ほど普及していなかった時代、ソフトウェアの役割は今のように情報へアクセスしたり操作したりすることではなく、主たる機能はハードウェアの制御でした。今回は、そんな私の40年のソフト屋の体験から見てきたICTの移り変わりの俯瞰的想いについて、ご紹介させてください。
私の学生時代には、今や「日本のインターネットの父」と呼ばれる村井純先生がいらっしゃいました。また、あの方がアメリカから日本へ初めて持ち込んだUNIXなどにも自由に触れられる環境で、今考えるとすごく先進的なことを学べる恵まれた環境であった記憶があります。
そして1982年、大学院を修了後に家電メーカーのソニーへ入社してからは、UNIXワークステーション「NEWS」、パソコン「VAIO」、携帯型情報端末「CLIE」の開発(といってもソフトウェア)に関わりました。特にその当時のパソコンといえば、主たる目的は表計算、ワープロ、ネットサーフィンが一般的。しかしソニーの「VAIO」は戦略的にオーディオビジュアル機能を重視していて、パソコンの新しい利用に関してチャレンジをしていました。AV機器からCD、DVD、SD、メモリ-スティックといったパッケージメディアを介してパソコンに取り込み、メディアの編集、データ交換、メディアの再生利用をする「メディアハブ」という新ジャンルの商品を目指していましたが、パッケージメディアや専用ケーブル(シリアル、パラレル、USB、HDMIなど)を介してAV機器とパソコンを繋ぐには、デバイスやPCに個別なインターフェイスが必要です。それでは今後不便になるため、ネットワーク線1本でメディアをやり取りできるようにしようという新たな動きが出てきました。
AV家電業界とIT業界の覇権争いの渦中に
そんななか、マイクロソフト・インテル・ソニーを中心に、家電業界とIT業界が一緒になってAV機器とIT機器をネット線で繋ぐ業界標準規格(プロトコル、コーデック等)を検討することになったのです。それが、後に「DLNA(Digital Living Network Alliance)」となる、「DHWG(Digital Home Working Group)」です。
2001年にVAIOの事業戦略統括部長に就任すると同時に、私はDHWGの立ち上げに参画しました。ところが家電業界とIT業界は、そもそも生い立ちや文化も違う業界です。加えてデジタルコンテンツの覇権争いなどもあり、仕様化の交渉は難航を極めました。しかし2004年の「DLNA」の発表では、AV・IT業界17社がメンバーになり、何とか仕様化とその商品化に漕ぎ着けたのです。
そのときの私は、”パンドラの箱を開けた”感覚になった記憶があります。というのは、それまで世に出ていた多種多様なAV機器はスタンドアロンで成立してきたものでした。しかし、これからはあらゆるAV機器がネットワークに繋がり(コネクティッド)、ネットを通してメディアコンテンツのやり取りをするのだろうと思ったのです。
あらゆるものがネットに繋がる時代を見据えて
デバイスがスタンドアロンからコネクティッドへ、そしてソフトウェアが機器の制御から情報の操作へと進化する過程を見ながら、私はメディア界の価値がデバイスからコンテンツやサービスへ移っていくだろうと感じ、2005年にヤフージャパンへ転職しました。当時のヤフージャパンは、まだサービスの98%がパソコン向けでしたが、米国ヤフーではネット家電にインターネットサービスを提供する「Yahoo! Connected Home」(コネクティッドホーム)構想が進められていました。
そんななか、私自身の考えを改めさせられた印象的な事件がありました。それはヤフー共同創業者のジェリー・ヤンが来日した際のこと。Connected Homeのあり方のディスカッションの場で、私は自身の戦略として「メディアインターネットサービスをDLNAでブリッジし、家電やデバイスに最適な形で提供したい」と説明しました。しかしながらジェリーから「お前は志が低い」と一喝されたのです。彼は、「インターネットサービスは人々の欲しいもの、使いやすいものを提供することで発展してきた。DLNAという仕様ありきでサービスをブリッジするのはアーキテクチャ的にもUI(使い勝手)的にもスマートじゃない」というようなことを言いました。家電業界に長く身を置き、IT業界と交渉してきた私が聞いたネット業界の考えはすごくショッキングなものでした。そうです、未来のネットサービスと機器(デバイス)の関係は、仕様や規格から決まるのではなく、いかに使いやすいサービスかで決まるのだと。
それ以後、ヤフージャパンでは米国ヤフーの「Connected Home」を超え、ヤフーのサービスをあらゆる生活シーンで、あらゆる機器に提供する「Yahoo! Everywhere」構想が進められていきました。私もその構想推進の一翼として、テレビやカーナビ向けサービスなどに携わりながら、将来は掃除機や洗濯機にまでサービス展開する絵を描いていました。まだ世の中に「IoT」という言葉のない時代でしたが、当時のサービス開発から「今後情報へアクセスするデバイスはパソコンやAV機器にとどまらない、あらゆるデバイスがインターネットに繋がっていくのだ」という確信に変わっていました。
後編はこちら:
【技術屋の想い】一緒にインターネットのエコロジーに取り組もう 後編: IoT・高品位動画時代に求められる技術とは