「人生100年時代」という言葉をよく耳にするようになりました。
政府が掲げている「人生100年時代構想」で一躍有名になったこの言葉は、もともと英国の教授リンダ・グラットン氏が自身の著書「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」で提唱した言葉。著書の中では、例えば寿命100歳を超えるようになれば、これまでの概念とは異なる新しい人生設計の必要性があると説かれています。
働き方改革の中では、働き手の確保に向け「高齢者の就労促進」も施策のひとつ。「人生100年時代」という言葉を考えると、60歳を超えてもなお働くということについて、今から意識しておかなければならない気がしてきました。
……とはいえ、60歳の私に何の仕事ができるのだろう? 何の仕事がしたいのだろう? そもそも何のために働くのだろう? いざ考えてみると、イメージや目的はぼんやりとしてきます。
色んな想像が膨らむ中、私の身近に参考になる先輩社員がいることに気付きました。その方はプログラマー歴35年、現在69歳のバリバリ現役社員。今後の働き方を考える上で参考にしたいと思い、尊敬する先輩社員にインタビューを行いました。
話し手:武田 まゆみ(プロダクト事業本部 筆ぐるめ部 言語システム室)
30代で、町工場からプログラマーへキャリアチェンジ
―今から35年前というと、Windowsなどもない時代。なぜプログラマーになろうと思ったのでしょうか?
私の実家は小さな町工場でした。15人くらいの社員で部品を作っている会社です。私も働いていましたが、1982年頃に発生した日米貿易摩擦の影響で日本全体が大不況になると経営が傾き、10人を解雇するような状況に。私も父親から「好きなところに行っていい」と言われ、リストラされたのです。幼い子どもを抱え30歳を超えた女性にとって、当時はどこにも仕事がない状況でした。
そんな中、今後伸びるのは「プログラマー」だと言われたのです。プログラマーは専門職です。私が大学で学んだのは法律であり、畑違いの分野でしたが、都立の職業訓練校を見つけ、なんと1年間勉強すると就職も斡旋してくれるという好条件でした。
入学するには英語と数学の試験がありましたが、1ヶ月ほど勉強して無事に合格。1年間、COBOLやFORTRAN、アセンブラといったプログラミング言語を勉強しました。卒業制作では逆アセンブラを作るなど、プログラミングを楽しいと感じていましたね。
卒業して就職となった時、聞かされたのは「プログラマー35歳定年説」という言葉でした。当時34歳だった私の前には、プログラマーの求人票が山のようにありましたが、そのほとんどに年齢制限がありました。
そんな中、年齢制限のない「富士ソフトウエア研究所(現:富士ソフト)」という会社を発見。年齢も性別もこだわらない―これはいい会社だと思い応募しました。面接時に「プログラマーとして使えなければ、経理もできるし、何でもやります!」と売り込んで、無事に入社できました。
―プログラマーとして働き始めて、困ったことはありましたか?
入社して「ソフトウエア開発部」に配属された時でしょうか。
最初の3ヶ月間は目の前にあったUNIXマシンの虜でした。まだパソコンが身近でない時代、UNIXはコンピュータの黎明期を切り拓いていくと感じていましたね。そんなソフトウエア開発部での仕事はC言語からスタート。職業訓練校で学んだ言語と比べても、使いやすかったことを覚えています。
しかし困ったのが英語でした。当時、英語は得意ではありませんでしたが、C言語などのマニュアルはすべて英語で書かれています。エラーメッセージも英語。「Abort(異常終了)」というメッセージが出ても何が起きているのかわからず、推論するしかありませんでした。そこで出会ったのが『プログラミング言語C』(ブライアン・カーニハン、デニス・リッチー著、石田晴久訳)です。日本語に翻訳されており、中身を理解するにつれて、ますますプログラミングの魅力に没頭していきました。
かな漢字変換「FSKAREN」のはじまり
―主にどのような仕事に取り組まれてきましたか?
富士ソフトに入社してから多くの時間を費やしたのが、現在も取り組んでいる「かな漢字変換ソフト」です。現在はパソコンやスマートフォンなどで誰もが当たり前のように使っているソフトウェアですが、当時はその存在すら知りませんでした。
当時のかな漢字変換ソフトの精度は低く、例えば「今日は良い天気です」と出力しようとして、「きょうは」と入力すると「今日は」ではなく「教派」と変換されます。「よい」と入力すると「良い」ではなく「酔い」と変換され、「てんき」と入れると「天気」ではなく「転記」と変換されます。
そもそも、かなを漢字に変換する機能はあっても、「今日は良い天気です」のような連文節変換の機能はありませんでした。また辞書には3万語しかなく、しかも連続する漢字の文字数は最大で3文字に固定されていました。このため、「けいざいせいさく」と入力しても、「経済政策」のような変換はできず、「経済性」「咲く」のように変換されてしまいます。
「世の中にないから好きなように作って」と言われ、見よう見まねでUNIX向けの変換ソフトを開発したのが「FSKAREN」のはじまりです。3文字固定という制限が足かせになっていたので一から設計し直したい、と思った時、「まったく新しく作っていい」という許可が出たのはありがたかったですね。
やりたい仕事を見つけられたのはラッキー
―今もFSKARENの開発を続けていますが、製品に対する愛着はいかがですか?
FSKARENをリリースしたあとも、「なぜこれが変換できないの?」と思われることは少なくありませんでした。今も改善し続けていますが、「頭が悪い」「精度が低い」と言われることがあるのも事実です。現在のかな漢字変換でも、正しく変換できないことに不満を持つ人は多いでしょう。「頭が悪い」と言われるとムキになって「次は、次こそは!」と思って取り組んでいます。
FSKARENの開発というやりたい仕事を見つけられたのは運がよかったと思います。当時、業界でもかな漢字変換は花形でしたが、なかなか良い結果が出ず……改善しても改善しても終わりが見えないため、やめてしまう人が多かったように思います。結果として、私のようにしつこく粘れる人が残ったのかな、と思っています。一時期、「毛筆わーぷろ(筆ぐるめの前身)」の開発に参加していた時期もありましたが、やはりかな漢字変換がやりたいという思いがあり、FSKARENの開発に戻ってきました。
―かな漢字変換でおもしろいと感じていたのは、どの部分だったのでしょう。
少しでも変換精度が上がるのが嬉しかったことですね。
最初の変換はひどいものでしたが、辞書を整備することで少しずつ精度が上がっていきました。例えば、結婚式のシーンでは「新郎新婦」が「心労新譜」、「華燭の盛典(かしょくのせいてん)」が「過食の晴天」と変換されていました。このような状態から辞書をチューニングすることで精度が向上し、FSKARENは多くの端末で採用されるようになっていきました。
大きな変化が訪れたのが、携帯電話への採用です。1997年頃にお話をいただき、実際に搭載されたのが1998年のことでした。当時の携帯電話にも電話帳機能がありましたが、全部カタカナでしか登録できない時代でしたね。このように新しい環境に対応することも楽しかったものです。
携帯電話への採用と、突如発生したトラブル
―最先端の端末での開発にワクワクされましたか?
当時、最先端の端末である携帯電話にソフトウェアを実装する際、大変なのは他の開発部署から急かされることです。かな漢字変換が実装されていないと、電話帳やメモ帳など、さまざまなアプリを動かしてテストすることができません。他の項目よりも優先して開発を進める必要があり、まだデバッグが済んでいない端末を渡されることもあります。しかもマニュアルは全部英語……、そんな状況で開発からテストまで実行するのは本当に大変でした。
それでも、携帯電話に自分が開発に関わったソフトが入ってとても嬉しかったのを覚えています。中学校の同窓会に参加した時、恩師が持っていた携帯電話で使われているかな漢字変換が、私が作ったFSKARENだったため、先生が驚いていたのは印象的でした。
携帯電話の仕事は、その後もスマートフォンが発売されるまで続きました。現在も、Androidアプリ「FSKAREN for Android」として提供を続けています。
―プログラマーとして働いてきて辛かったことはありましたか?
FSKARENは、国内の携帯電話端末の半分ほどのシェアを占めていました。街を歩いていると、至るところで搭載機種を見ることがあり、すごい勢いで携帯電話が増えていることを感じていましたね。
そんな中、大きなトラブルを出してしまいまして…。
2006年のことでした。FSKARENが搭載されたある携帯電話で特定の言葉を入力すると、携帯電話がフリーズしたり再起動したりする不具合が発生したのです。ネットワーク経由でのバージョンアップもできない時代だったので、利用者は携帯電話ショップに持ち込まないと更新できないという状況でした……。社会への影響が大きかったので、テレビや新聞の報道だけでなく、現代用語の辞書にまでトラブルが掲載されてしまい、「もうダメだ。プログラマー人生が終わった……」と絶望しました。
このトラブルの原因は、私の「おごり」でした。次々と世の中の端末に搭載していただき、自信過剰になっていた私は、小さな問題があっても反省することなく進めてしまいました。この時、他部署から30人以上もの応援をいただき、みんながカバーしてテストしてくれたことは今でも忘れません。
次回は、トラブルを乗り越える方法、60歳を超えて働き続ける理由、今後の展望……などについてインタビューした内容をご紹介します。お楽しみに。
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